副理事長ごあいさつ

教員メンバー

自由な「交通」としての留学
―グローバルなコミュニティへ―

ユーラシア大陸の東端、花綵列島という優雅な名の冠せられた弧状列島、日本。

この広大な大陸と日本、そして今は太平洋を取り巻く国々と、海は人々を隔てたのではなく、その自由な交通は人々を結び付け、文明を産み出してきていました。やがて、国が生まれた後、遣隋使・遣唐使といった国を背負った使節が派遣されますが、その使節を危急の際に支えたのは、日・中・韓の仏教教団のネットワークであり、海の案内をしたのは日韓の海に生きる人々だったのです。一気に拡大した中世における環日本海貿易と文明の往来、そして琉球を結節点として東シナ海から東南アジア・南アジアまで連なり、日本にあの伝統的な「縞」模様もたらした海洋貿易圏の世界が15~17世紀に花開きます。他方、北ではアイヌが通常の小さな集落での暮らしの一方で、遠くシベリアまで交易でつながる世界を作っていました。19世紀の世界がその高い「国境という壁」によって人々を隔てるまで、日本列島に住む人々は広い世界に生きていたのです。その歴史を通じて培われた日本人の資質は何だったでしょうか。16世紀のポルトガル、19世紀のロシア・アメリカと、日本を訪れた欧米人がみな口をそろえていった日本人の特質は、「好奇心」でした。そして、近代の曙光、開国日本にあって第一号のパスポートを手に欧米に行ったのは、身一つの芸能の人々であったのです。

いま、世界の一体化は私たちの予想を、その速さと影響においてはるかに超えて進んでいます。ヨーロッパの難民問題は、グローバル人材という課題が、「日本がこのままでは取り残される」などという自国の利害にとどまるのではなく、世界がともに取り組まねばならない課題となっていることを示しています。さらに言えば、グローバル化によるものや人の動きは、国や民族を超えているだけでなく、今まで私たちが生きてきた、コミュニティのレベルまで及んできています(そこに地域の課題の取り組む意味があります)。その結果、急速な変化への身近に迫る不安は「身内」への過度な依存と、他方で異質な他者、とくに弱いもの排除への危険を産み出しかねません。しかし、違った生き方・考え方の人々との共生の拡大は、衝突を産み出すこともある一方、新たな文化や知恵を産み出す可能性を私たちにもたらしてくれます。ミラノの「食博」で日本が得た称賛は、伝統料理もさることながらなんと雑種料理、つまり各国料理を取り入れて今までにない料理を創造した「革新」にあったのです。世界が求めたのは、多文化が共にあるという「共生」ではなく、入れ子状態で交響し産み出す「響生」でした。

私たちの日本は、ずっと「内向き」だったのではありません。その背景に、明治以降の一方的な講義式授業と結果の暗記を学力とする教育方法が、考える力の欠如と自ら学んでいく主体性の弱体化があったといえます。『教育の私化』と未来への不安がそれを加速させました。そうしたことへの危機感が、IB教育やSGH指定校などの留学支援・教育方法の改革に表面化。授業方法改革への動きは急速に広まってきています。
いま、グローバル人材として求められているのは語学力ではありません。私たちが直面している課題を見出し、解決に向け人とともに行動していく人です。人類史の明らかにしたところによれば、人は好奇心に満ち、かつ「利他」つまり他者とともに生きることによって今日までを生きてきたといわれています。

私たちは、広い世界に自らの学びを求めて飛び込んでいった学生と、それを理解し、支援した教員とで、このNPO法人『グローバルな学びのコミュニティ・留学フェローシップ』を創りました。学生は、高校生・中学生に広い世界での学びの場を、また、なぜどのようにして実現していったのか、を自らの体験を通じて伝え、ともに自ら学ぶ世代を作っていきたいと考えています。教員メンバーは、学生を支援してきた体験から、進路指導や授業改革を学び会うプラットフォームを形成し、世界に通用する学びのグローバル化の実現を目指していきたいのです。最後に、私たちは地方をとくに活動の場として重視したい。それは情報に恵まれてないという中央目線からではない。課題の多い地方こそが新しい学びの先進地となりうると考えたからに他ならないからです。

2016年春 副理事長

倉石 寛